1年って長いように思えてすぐだったりして、
日が経つのが早いなと感じている人も多いはずです。
僕の祖母が亡くなってから、
頭の中でつねづね考えていることがあります。
「自分が死ぬ時には何を思うんだろうか。」
「後悔することがあるとしたらなんだろうか。」
僕が生まれてから身内の人が亡くなるというのは初めてのことでした。
そこから自分の人生や死について本気で考えるようになったわけですね。
若さを無駄にしなければよかった
いろんなことに挑戦しとけばよかった
もっと学んでおけばよかった
たくさん遊んでおけばよかった
家族との時間を大切にしておけばよかった
自分の気持ちに素直になればよかった
親孝行しとけばよかった
行きたい場所に旅行しておけばよかった
もっと新しいことを経験すればよかった
仕事よりプライベートを優先すればよかった
いろんなことが頭のなかを駆け巡るわけです。
基本的に人間は安定を求める欲求があったりします。
まあ、古代の人々は狩りをしないと食べ物が手に入らなかったわけなんで、
不安定の中で生きていたわけですよ。
米みたいに保存が可能な食品は飢餓に備えることができるため、
稲作は急速的に広がっていきましたね。
ですので安定を追求することは普通のことです。
しかし、人生における安定についてはもう少し考える必要があると思うんですよね。
安定というと会社とかをイメージする人もいるかと思います。
まあ雇われている人であれば、
基本的には普通に生活する分にはそれほど困らないことでしょう。
食べ物に飢えることもなければ寝床に困ることもありませんからね。
でも安定とは金銭的な部分だけではありませんし、
体型なんてまさにそうです。
まさか自分の体型が普段の生活満足度に影響しているなんて思わないでしょうし、
知っていても改善しようとする人なんてまずいないです。
ヘルス面に関しても自分なら大丈夫だと思ってしまいます。
周りから称賛されるような職業につけたところで、
体型が乱れて自分に対してマイナスの感情を抱いてる状態は人生の満足度が高いといえるでしょうか。
毎日のようにコンディションが悪くてパフォーマンスが落ちていたり、
人から下に見られて見た目で判断されているように状態ではどうでしょうか。
それこそ使っても使いきれないほどのお金があったとしても、
体がボロボロの状態では思い描く幸せとは程遠いはずです。
いくら時間にゆとりがあったところで、
体が自分のいうことをきかないとか、
誰かの支えがなければ生きていけないような状態ではできることも限られてきます。
金銭的な所を意識するあまり、
時間とかプライベート面とかヘルス面やコンディションやストレスなど多くのリスクがあるわけです。
むしろ、こっちのリスクの方が大きいのではないでしょうか。
失った時間は二度と取り戻すことはできないし、
体型の乱れがあると常に体内に大きなダメージが蓄積されたりや負担をかけているのと同じです。
ストレスにさらされまくっていたら、当然ながら幸福感は少なくなります。
体型が乱れたままでいいと思うんであれば、
それはそれであなたの人生なのでそのままでもいいと思います。
それも特徴の1つだし、
パフォーマンスや他人からの評価など、
あらゆる面で少なからずマイナスな影響になるというのを受け入れて、
今まで通り生活したらいいかと思います。
だけど今の生活に満足している人が多いなら、
そもそも日本人の生活満足度が世界的に低くなることや、
飲み屋で愚痴が聞こえてくることもないはずです。
生産性にしても、
疲れにくさにしても、
魅力にしても、
メンタルにても、
結局体型が関係してくるわけで、
人生をプラスにするには欠かせない部分です。
僕はどうしても自分の殻に閉じこもって、
ネガティブな感情のまま生活する人生を受け入れられませんでした。
夢や目標どころかやりたいこともろくにできずに人生が終わると思ったからです。
そしてなにより普段の日常ですら満足度が下がるのは嫌だと感じました。
どうせなら一度きりの人生を自分の幸せのために生きた方がいいと思いませんか。
そのための最初の一歩として体型を変えるというのが簡単です。
自身や達成感にも繋がります。
そうやって他の面にもプラスの影響が転じて、
良いサイクルを生み出してくれます。
こうなってくると人生が好転していき、
当たり前ですが幸福度も上がるし、
自然にポジティブな感情が増えるようにもなりますからね。
そんな感じで、一度きりの人生なんで、
幸福度が高い状態で過ごした方がいいですよという話でした。